用心深い人は「人生で最も大切な二つのもの」を失っている

ちょっと下見のつもりが、あまりにも丁寧な説明を受けたために、買わずに帰ることに気が引けてしまった。
そんな経験がありませんか?
これは、返報性の原理、あるいは返報性の法則というものによるものなのです。
簡単にいえば、何かをされたらお返しがしたくなるという心理作用のことです。
一般的にマーケティングの基本とされています。
投影の法則に関して説明する際にいつもいうことは、誰でも自分の好きなようにものを見ているということです。
同様に、この返報性に関しても、
上手に人を利用し(騙し)儲ける手段
コミュニケーションの円滑化につながる手段
見る人次第で、どちらの見方もできるのです。
すべてその見る人の在り方に関わっているわけですね。
もちろん、どちらかなのかは決まっているのですが、明らかにわかるようなことは少ないからです。
その際、「何かウラがあるのではないか?」と疑うのか、「ありがたい」と感謝して素直に受け取るのか、反応が変わってきます。
「用心するに越したことはない」という考えから、ついつい疑いたくなるのは当然です。
被害に遭いたくないと思うのはごく自然なことです。
たしかに、用心しておくことで万が一の際には大事に至らなくて済みます。
ところが、用心深いことにもデメリットがあります。
こちらに気づく人は少ないようです。
相手の行動が本当に好意からのものだった際に、とんでもない損害があります。
自分から他者の好意を手にしようとしても、まず不可能です。
他人をコントロールすることになりますからね。
そんなに貴重なものを、疑うという行為により、無駄にしてしまうことになるのです。
このことも被害に遭うのと同じように、「もし、そんなことになったら」と気にするべきことなのです。
これにより、
感謝する機会が失われる
人と人のつながりが断たれる
という、人生の重要項目二つが失われてしまうわけです。
悪いことになることを避けようとするのと、よいことを無駄にすることを避けようとするのとどちらを重視するべきかということです。
個人的には、後者を重視したいものですね。
そんな選択をしなくて済む世の中が、いつの日かやってきてほしいものです。
そのために必要なのが、人に対する心遣いです。
自分のためになるように、人によいことをする
のと
人によいことをしたいという人には、よいことが巡ってくる
ことの違いです。
この差異を感じられるかどうかが、その人の成長度合いを示しているのではないでしょうか。
無条件の愛のみが愛なのです。