惜しいね菅田くん!

僕は自分の記事を読み返して思わず「う~ん」とか「ああ」とか唸ってしまうことが多いんですよ。

自分で書いたものなのに変ですよね。でも、本当のことなんです。おそらく、「ああ、なるほど」「確かにそうだ」という感覚に浸ることが好きなんだと思います。俗に言う「アハ体験」ってやつです。程度の差こそあれ、ほとんどの方が好きだと思いますけどね。

さて、そのアハ体験を堪能できるドラマがありました。

菅田将暉くん主演の月9ドラマ『ミステリと言う勿れ』です。

キャスティングもさることながら、セリフの内容がとてもナイスなんです。思わず、「そうそう」を連発してしまいます。その中から特に印象深いものを紹介しましょう。次のようなセリフがありました。

「事実は1つしかないが、真実は人の数だけある」

思わず、「おお」と唸ってしまいました。僕がずっと昔に書いた記事ネタだからです。でも、すぐに「惜しいなあ」という別の思いが湧いてきました。これが今回のタイトルの理由なんです。

正確には、菅田将暉くんはセリフとして話しているだけですから、本当なら「惜しいね”脚本家”」とするべきだったかもしれませんけどね。まあ、そのあたりはサラリと濁して先に進みます。

まずは、何が惜しいのかをハッキリさせてしまいましょう。

「事実は1つしかないが、真実は人の数だけある」

ではなく

「事実は1つしかないが、実は人の数だけある」

ということです。こちらのほうがいいんじゃないか、いや、「こっちしかないでしょ」というレベルです。

どうしてか。

あなたは真実と聞いてどんな感じを受けますか?

「本当の」「正しい」という感じがしてきませんか?
そのため、自然と「1つしかない」ということになってしまいます。

反対に、現実といった場合、「虚構ではない」「空想ではない」という具合に、リアリティを強調しているだけで、どこにも「1つ」という意味合いは感じられません。真実よりずっと軽いですよね。

そしてもう1つ大きなポイントは「現」という文字が表す意味です。「現れる」ですよ。まさにピッタリじゃないですか。

まあ、多くの方がポカンとしていることでしょうが、仕方ありません。現実とは何か、事実との違いは何かということがハッキリしていないのでしょうから。それ以前に、「その2つは違うの?」「同じものだと思っていた」なんて状態かもしれませんね。

ここで、この 「事実は1つしかないが、実は人の数だけある」 ことについて触れることは割愛します。次回のネタとして取っておきたいからではありません。このまま続けてしまったら、とんでもなく長い前置きを書いてしまったことになるからです(笑)

というわけで次回は

  • 事実と現実の違いについて
  • なぜ事実が1つで現実はたくさんあるのか
  • それらがわかるとどんなに生きやすくなるか

についてお伝えします。乞うご期待。

(本当はその何年も前に書いた記事をリライトするだけなんですが)

もう投稿したのでリンクを張っておきます